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日常の徒然多世代伝達課程の実体験
次は私事ですが、この世代伝達課程だな、と思う過去の出来事があります。
私は寂しがりやがある一方で一人で遊ぶのも好きなタイプでした。
友達とおままごとや一緒に話すこともありましたが、喧嘩もしょっちゅうしていました。
一人で遊んでいる時は、紙があればお絵描きしたり、棒を作って叩く・リボンをつけてくるくる回したりしていました。
今考えると幼少期から人とのコミュニケーションは下手な部類です。それでも自分なりに頑張っていたとは思うのですが、中学校で挫折に近い状態で何もかもが嫌になり、学校に行かなくなりました。
ほぼ家にいることが多かったですが、ある時、お気に入りのお団子屋さんがお祭りで出店していたため、そのお団子を買って自転車で母方の祖母の家に行った日でした。
私の中では「美味しい団子を一緒に満喫しよう!」という気持ちで祖母宅で祖母と一緒にお団子を食べたのですが、祖母が何気なしに言いました。
「あんたは兄妹が年が離れてるから、あんたは一人でかわいそうやった。お姉ちゃんにも一緒に遊んであげてって言ってたけど遊びに出かけるから、一人でいるのはかわいそうやったね」
これを聞いて私の中で思ったのは、「え?なんで?」でした。
上記のように私は一人で遊ぶのは苦ではなく、お祭りで出店していたお団子屋さんもほぼ一人で行っていました。
一人ってダメなのか?と思いながら、美味しいと思っていたお団子も微妙に味が分からなくなりました。
その後祖母も亡くなり、私もなんとか高校生になり、学校帰りに迎えに来てくれた母が外食に行こう、ということでファミレスで一緒に食事をしていました。
私達の隣のテーブルには一人で食事をしている女性がいました。その女性が席を立って会計をして出て行った後でした。
「ああなっちゃだめよ」
この言葉を聞いて「あ、ばあちゃんとこの人は親子なんだ」と感じました。
母の行動を思い返すと、日用品の買い物以外、外食やその他の趣味の買い物は必ず誰かいるのです。祖母も1人で家に居ることが多く、おそらく外食は身内に誘われない限りしていなかったです。
2人の言葉が影響していたのかそうでないか、と言われると分からないですが(その後母も高校卒業後に亡くしているので)、1人で散歩や買い出し以外の外出や外食ができませんでした。
なので、刷り込みのように「一人では行動してはダメなんだ」というのが脳裏にありました。
しかし、一人暮らしを長く続け、残った家族とも年1回会う程度になり、ある日の大学院時代で。
とにかくボウリングに行きたくて、友人を誘ったりしたのですが予定も合わず、「そんなに行きたいなら一人で行きなよ」と言われ、その時何故かその通りにしてみました。
結果。
その一歩が私には合っていたようでした。一人でボウリングをやれば、人を応援しなくてもいいし、黙々と自分が投げる球の角度を考えることもできました。自分のペースで遊べるのです。とある同年代の若者グループがこちらを見ていましたが、そもそもそのグループは私のことを知らないですし、私も相手方を知らないので、どうでもよかったのでした。
それに気づくと、私の今後の一人行動は多くなりました。
社会人になれば自由も多くなり、居酒屋やカフェ、一人バイキング、一人旅行も経験しました。
私の心情として、「一人って楽だ」と思いました。
好きなものを好きなだけ頼める、人混みの時期や時間さえ気を付ければその景観やまったりと味を味わうことができたのです。
もちろん人と一緒に食事をするのも楽しいです。それよりも「ペース」が私の中でとても大事であり、「ペース」を持つことで五感をしっかり使っているようでした。
母は祖母の「一人で行動は寂しいことでダメなこと」という暗黙の了解を受け取っていたのだと思います。そして母自身も「一人で行動することはダメなことだ」という刷り込みにより、その親が作った価値観・ルールを私たち娘息子に暗伝え、私はそれを受け取っていたのだと思います。
家族をシステムとしてみたなら、家族が作ったルールをそのまま引き継いで次世代に伝わることもあります。そのルールがしっくりくる人もいるかもしれませんし、私のように苦になる人もいるかと思います。その時に周りの一言が目から鱗になるのかもしれません。
この状態についてカウンセリングで分析し自分の考え方や思いがどこから来ていたのか気付き、これから自分はどうしたいのか、という未来にフォーカスすることもあります。
補足として祖母と母の関係を次回の年齢退行をした際の観点をお話ししたいと思います。