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日常の徒然年齢退行から見た祖母と母
楽しむことは一人でも楽しむことができる。
大人になって私はそれを知ることができました。
独身時代はそれを楽しんでいましたが、結婚してからは当時は構ってほしかったらしい夫との関係で一人の時間が保てずイライラも多くなっていました。(今は夫もヒプノセラピストとなって、自己瞑想をしておりマイペースに過ごしているため、今の夫を見た人は信じられないという反応をします。)
そして私の中でもどこかで「夫婦は支えあうものだ」という考えがあり、一方的に支えているように感じてしまい、喧嘩も頻繁にありました。
人が一緒にいると私はペースを崩され、感情コントロールが難しくなる。
ただ、「人と居るときは相手にも合わせないといけない」という考えがあり、人と居るとペースを抑制する癖があり、結果「この人は私がこの何年間この人に合わせているか解っていない」と積もったものが感情の爆発に繋がっていました。
この考えは家族間から引き継いだもの、というのはなんとなく理解していました。
というのも、上記の考えは母の考えとそっくりだと感じていました。
そして、私の思考の癖としてこの考えをぐるぐると循環する、ややねちっこいのも相俟っていました。
このような考え方だと一切ポジティブな観点を一人では受け取ることが私には難しかったです。
では友人知人に話をしてみても、その場での愚痴も一瞬楽にはなるのですが、事実上変わらないのでまた循環し出します。
このサイクルに関係する年齢退行がありました。
母の根底にあった「寂しい」という感情
それは母と小学校か中学校の私との間で会話が成り立たない時がありました。私は伝えても母は無表情かイライラとした形で返しており、私の中で「言っても私の言いたいことを理解してもらえないから無駄」と思っていました。
母もそんなことは社会に通用しないという考えの基で厳しく徹したかったようでした。そこから母に何故そう思う必要があったのか、その根底の記憶に飛びました。
私が見た風景ですが、アルコールの匂いと垢の匂いが入り混じった場所で床は木製の窓際でそこに女性が背中を向けてベッドに横たわっていました。
それを幼い弟と一緒に見ている幼い時の母。
その女性は祖母でした。
その光景を見て、以前母から、祖母は母が幼い時に結核で入院しており、祖母に育てられたのではなく叔母に育てられた、そのため祖母を母と思うのは違和感がある、と話していたのを思い出しました。
祖母は母の弟が話しかけても、返答はしても振り返らないのです。
その様子から怒りにも諦めにも似た感情を感じました。母の中で「なんで振り返ってくれないの」「病気だから」という葛藤がありました。
祖母の気持ちも人格移動で聞いたところ、「振り返りたいけど、病気を移してはダメだ」という葛藤がありました。
私の中で祖母と母は昔からすれ違ってたんだな、と思いました。それでも幼い時の母は大人になった時の母より感情が素直なようでした。
言葉にはできないものの「寂しさ」が強かったようでした。
本当に「見てほしい」「顔を向けてほしい」だけだったようでした。
その書き換え植え替えをしてもらいました。祖母に母の気持ちを知ってもらい、体の向きをくるっと回してもらって母と母の弟に顔を向けてもらっただけです。
それだけで母の感情がホッとしたようでした。
長女だから弟を守らないといけない、母の代わりをしないといけない、という自立心が強い母でした。その母がホッとした感情を持つということ自体がなんだか貴重で大事な体験だったんだ、と思いました。
場面が戻り、大人の母と私がやりとりしている様子でした。
その時の母は今までの無表情よりはやや柔和な様子でした。セラピストの誘導で言いたいことを伝えて、今まで何も回答しない母が少しだけ回答しました。そして、私の中で「言いたいことが言えた」という体験になりました。
あくまでこれが事実とは言えず、私が見たイメージの世界であるということは否めません。
実際に病院の場面も私は生まれておりませんし、詳細を母から語られたこともありません。
ただ、私の潜在意識はその場面と感情を出してきました。
前々回の多世代伝達過程もそうですが、遺伝子情報からの記憶もあるかもしれません。
人は誰かと一緒にいる方が良い、という祖母と母の考えだったのかもしれません。
しかし、私は私自身も見てほしいと母たちに伝えたかったようでした。
カウンセリングでも考え方に気付いて変容できる人もいますし、私のようにヒプノセラピーを受けて変容する人もいます。
興味があればご相談ください。